夢はいつごろから叶えたいなと思ったかな。日常がつまらないと思ったときだったかもしれない。
今日はつまらないなと感じたらひとりの時間を持つと良いという話を書きますね。
こどもとおとな
こどもって何
子どものころ考えていた気持ちは案外思い出せることがある。それはイヤなことが思い出しやすいことです。こどものとき自分がこどもってわかっていなかった。それがこどもなんだと思うのです。だって、最初から小さいわけですし、親よりは小さいだけですから。そんなおとなにとってはわけのわからない理屈じゃないことをいうのだと思うわけです。
おとなって何
ではおとなって何かというと。おとなとは、「おとなを認識できたこども」なんだと思うのです。ある出来事がありました。
ある姉妹のはなし。彼女は小学1年生。欲しいなと思っていたハローキティの首から下がゆらゆらするペンダントが欲しくて欲しくてたまらなかったのです。残念なことに姉が欲しいと思っているものとかぶってしまいました。
さてどうするかっていうと、妹は姉の動きを見て買うかどうか決めていました。これがおとなですね。妹のほうがおとななんだなと思います。結局、姉は別のスヌーピーのペンダントにしたのです。これが、子どもです。
そのあと、妹は後出しされた自分が欲しかったハローキティのペンダントを買ってもらってむっつりしてしまったのです。
自分の気持ちを押し殺してしまう感情はおとななんだと思うのです。すなわち「そんなもんだと思っていました」それでけりをつけてしまって、戦うことをしない。反抗しないスタイルがおとなの部分なのだと思うのです。
子どものゆめはどこに在る
ゆめはわたしの中にある
わたしの中にある夢というのは、おとなを認識できたこどもが語るものではなくて、おとなになり切れていないこどもの自分が思っていることを思い出すことなの。
何をしたいかではなく、何を経験したいか。何を体験したいかなどよね。
わたしの中にあるものをひとつひとつ引き出してほしいと思うのです。
夢は叶えるとは
引き出すものとはありたい気持ちなんです。
あるひとは一日中魚釣りをしていたい
またあるひとは一日中本を読んでいたい
またあるひとは一日中寝ていたい
それぞれ、どんな気持ちになっているかっていうと、「気持ちいい」ことをしたいだけなんじゃないかと思うの。
そこに向けて今は何ができるかってひとつ道ができていくだけなんだと思うの。それは誰もバリバリ仕事をしなくたって叶えられる夢はいっぱいあるんですもの。
その方法を一緒に考えてみたい。そんな気持ちでいっぱいです。
最後までお読みくださってありがとうございます。
まんまマリア